大山口駅、昭和20年7月28日。

その日もこんな暑い日だったのかな・・

終戦間近の
昭和20年7月28日8時頃、悲劇は起きました。

鳥取発出雲今市行きの11両編成の超満員の列車に、
突如、米艦載戦闘機が攻撃してきました、
前2両は十字の書かれた病客車・・・・・

この事件で亡くなった人44名、
負傷した人31名、近くの民家3戸が炎上。

亡くなった人の中には、三朝の軍病院からの
転退院する人、勤労動員学徒の人たち・・・


希望もあったでしょう、
ささやかな幸せも待っていただろう・・

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「愛する肉親を失った、遺族の悲しみは消えず、
 亡くなった方の無念を語ることは出来ない。
 再びかかる悲惨を繰り返してはならない。
 誓いと鎮魂の祈りをこめて
 この碑を建立する。」   (慰霊の碑より)

戦争を知らない私たちには、
今世界中で起きている、事件と同じように
見えてしまう。

身近にこのような出来事の記録があると、
やっぱり伝えるべきは伝えなければと思うんです。

私たち世代だから出来る事だから。

心よりご冥福お祈りいたします。 合掌







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